益子の土と釉薬を使い、和と洋のエッセンスが織り交ざったような素敵な器を作られている松崎麗(まつざき うらら)さん。栃木県益子町にある工房にお邪魔しお話を伺いました。
築約100年の古民家をリノベーションし、ご自身の工房とギャラリーショップ ''tete+gallery'' を営んでいる松崎さん。
「イギリスのおばあちゃんがやっているようなTea Roomの雰囲気が好きで。当初は友人とイギリスのティーセットやお菓子などが楽しめるお店をオープンしました。 teteは手仕事の手(te)とTea の(te)なんです。」と作品の雰囲気そのままに、柔らかく静かにほほ笑んでお話くださいました。
現在は松崎さんのセンスが光るこだわりのあるものが並んだ陶器と暮らしの雑貨さんとして、小さいお子さんの子育てや作陶をしながら不定期にお店を開いています。※喫茶スペースはなく陶器と雑貨の販売のみとなっています。
扉など一つ一つ気に入ったものを見つけてきて丁度いい感じに。お父様は設計のお仕事をされていたとのことで、ご一緒に約一年かけてリノベーションしたそうです。
こちらの年代物とみられる梯子も設置。
まるで以前からそこにあったように自然と馴染んでいます。
ギャラリーの隣は工房スペース。和の雰囲気が残された落ち着きのあるお洒落な空間です。ここで、素敵な作品たちが生まれています。
小さな頃から家にあるものを使って、色々なものを作ることが大好きだったという松崎さん。小学生の時から絵画教室や造形教室などに通い、何かを作る仕事がしたいと、日本大学芸術学部美術学科 インダストリアルデザインコースに進まれます。そんな中、実際に手を動かしてものづくりがしたいと思うようになり、卒業後はイギリスの東南部にあるBuckinghamshire University でガラスと陶芸を学ばれます。
「ヨーロッパの学校は、アーティストと職人は全く違う教育なので、色々と学んでいくうちに普段使う身の回りのものを作っていきたいなと思うようになりました。イギリスの学校の先生に相談したところ、益子のことを教えてくれました。それまで益子は行ったこともなかったのですが、まさかイギリスで知るきっかけになるとは当時は驚きました。」と松崎さん。
益子町は昭和の陶芸家 **濵田庄司が制作の地として選び、イギリス人陶芸家のバーナード・リーチとも関りの深い場所。帰国した松崎さんは、益子の雰囲気や人が好きになり、製陶所で3年間修行。地元の窯業技術支援センターで一年間技術を学び、独立をされます。
作品には益子の土と釉薬を使い、益子焼の温かみ優し気な感じが伝えられるようなものを目指して制作されています。
白の釉薬の配合はイギリスのアートスクールで学んだものだそうです。
絵柄は日本の着物の絵柄やイギリスのアンティークの壁紙やファブリックなどのからイメージを膨らませています。綺麗すぎない手作りの風合いが残るように心掛け、素地に黒い土を付けた後、針のような道具で削り模様を描いていきます。
ベトナムのバッチャン焼や中国の陶磁器などは、陶芸をするきっかけにもなったそうで、そういったアジアの要素も西洋のエッセンスが感じられる所以かもしれないですね。どこか懐かしく、可憐なふんわりとしたその世界観に引き込まれてしまします。
余談ですが、店主も陶器を好きになったきっかけがベトナムのバッチャン焼。そして、若い頃(!)イギリスにも滞在していたことがあったので、色々とお話するのが楽しかったです。あ~、イギリスのおばあちゃんのTea Roomに行きたくなってしまいました。
これからも松崎さんらしい素敵な作品楽しみにしてますね!
この度はお忙しいところありがとうございます。
**濵田庄司とバーナード・リーチ
昭和の陶芸家の濱田庄司は、イギリス人陶芸家 バーナード・リーチとともに、思想家、美学者の柳宗悦が提唱した日本の民藝運動を展開し、伝統的な日用陶器の中に美しさがあることを広めます。1920年にリーチと共にイギリスに渡り、コーンウォール州(イギリス南西部)セント・アイヴスに日本の登り窯「リーチ・ポタリー」を設置。工業化以前に使われ、その当時はほぼなくなっていたイギリスの民藝であるスリップウェアなどを再発見やアジアや中国、ヨーロッパなどの民藝の技術の研究などを行い、現代につながる道筋を築きました。濵田庄司は、益子に制作の拠点を持ち、生涯精力的に活動。今では、濱田庄司とバーナード・リーチの子孫や、弟子たちの子孫との交流が続いています。セント・アイヴスは自然豊かな美しい港町で、多くの芸術家の工房やギャラリーがあり、今ではリゾートしても人気がある場所です。益子町とセント・アイヴスは姉妹都市にもなっています。
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