店主が一目ぼれしてしまった川尻製陶所さんの素敵な塩壷、砂糖壷のご紹介です!
秋が深まるころ益子にある「川尻製陶所」さんにお邪魔してきました。
栃木益子町にある川尻製陶所さんは、現在窯を守っている琢也さんのお父様が作られた登り窯の窯元です。そんな登り窯のことを「絶滅危惧種」と表現する琢也さん。今は実際にメインで稼働している窯と考えると、日本の陶磁器の各産地に一つあるかどうかという割合でしか残ってないとのことです。
創設者であるお父様は、「何でも作ってしまう人」とのことで、登り窯も職人さんと一緒に作成。工房や店舗もほぼ作られたというから驚きです!
工房の横にはかわいらしい売店。いろいろな焼き色や風合いのものを直接手に取って見ることができます。
ほっこりした雰囲気の店内。
2代目となる川尻琢也さんは、2006年に栃木県窯業技術支援センターで修学後、沖縄の北窯 與那原工房で登り窯の焼成などを学ばれました。沖縄や九州では今でも昔からある技法などが残っていて、学ぶべきことがとても多いとのこと。
登り窯への入り口にある川尻さん手づくりのかわいらしい看板。
益子で登り窯自体は40基ほどあるそうですが、ほとんど使ってないか(2011年の震災で壊れ以後使わなくなったもの含む)、年一度程度で使用するという窯となるそうです。登り窯にこだわり、常時稼働しているのは川尻製陶所さんのみとなっています。
窯の入り口。美しい自然と相まって雰囲気の良い景観。
約2カ月に一回というスケジュールで窯出しを行っています。
燃料はそれぞれ状態が異なる廃材を利用しているため、仕分け作業や薪割なども手間がかかります。
登り窯内部。隣の部屋の熱を活かしつつ、各部屋に燃料(薪)を入れ、調整しながら焼成。
窯内部ののぞき穴。
こちらの穴に小さなサンプル品をいれて焼成の状態を確認します。
登り窯は完全な酸化(酸素が多い状態で焼く)や還元(酸素が少ない状態で焼く)にはできないので、酸化ぎみ、もしくは還元ぎみという感じで微調整をしながら焼成します。同じ釜の中でも、酸化ぎみに焼けるものもあれば、還元ぎみの味わいが出たりと、自然の変化が器に現れガス窯や電気釜にはない美しさを生みだします。
窯の中では、火が一方から流れるので「作るのに適した物」というのがあると思うと川尻さん。益子の粗い土を利用して、「特産品」となるような作品を考え作陶されています。
塩壷
砂分が多い益子の土を利用しているので自然に内部の水分を調節するそうです。お塩の他にしょうが、にんにく入れにもばっちり。ほんわりかかったスカーレット色(緋色)がなんとも言えない豊かな表情で素敵です。
砂糖壷
砂糖壺の内側は釉薬がかかっていて、余分な水分を入りこんだり閉じ込めたりする作用があります。お砂糖の他に、梅干しやラッキョウ、新生姜など保存食を入れてそのまま食卓に出しても素敵ですね。
登り窯の特徴でもあり魅力でもありますが、窯の位置によりお色に個体差が強く表れます。
※商品ページにて焼き色はアルファベットでお選びいただくようにしております。
益子の粗い土を活かしたスパイスミル
ザラザラとした表面が、ほどよく擂りつぶすことができます。
多くの窯元が利用している電気釜やガス窯、灯油窯より自然の状態に左右されるため、焼くための手間もかかり、ロス(商品として出せないもの)も多く効率は決して良いとは言えません。しかしその分、作られた作品はあたたく味わい深い焼き色になり、他では見られない風合いとなります。
「昔はみんな登り窯だったんです。だからそんなに特別な技術というかそういうことではないんです。ただやはり焼成が安定してないので、作り続けていくのは大変ですね。やめようかなと思うこともありますが、そうなったらたぶん陶芸もやらないと思います。」と琢也さん。
約10年前から益子で作陶開始。しかし1年後の2011年、東日本大震災で窯の半分が壊れるという事態になります。ご自身の窯も半分くらい壊れたのにも関わず、あちこちの壊れた登り窯をお父様と一緒に直しに出向かれたとのこと。登り窯の作り手があまりいないので大忙しだったそうです。
「もっと登り窯をする人が増えればいいと思ってます。今後とはどうやって
それを残していくか、伝えていくかにも関われればいいなとは思っています。」
こちらのいろいろな質問にも、とても丁寧に答えてくださり、実直で誠実なお人柄の川尻さん。お話させて頂き、登り窯への深い愛情を感じました。これからも素敵な作品楽しみにしていますね!
川尻製陶所(売店)
〒321-4217 栃木県芳賀郡益子町益子4327
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